ご感想はこちらまで

更新履歴

2019年4月13日(土) * NEW !
 更新に1年以上かかってしまいました。 フライシャー長編第2作目にして、最後の長編作品「バッタ君町へ行く」の制作背景を特集したフライシャー兄弟10を作成しました。 このサイトでは既に「バッタ君町へ行く」の詳しい特集(内容・技術・音楽)をご紹介しましたが、今回はこの作品が原因となった、フライシャー・スタジオの終焉や、運命のプレミア公開初日の批評なども織り交ぜて作成してみました。 公開時期があと1ヶ月早かったのなら、同時期のディズニー長編作品「ダンボ」と同等かそれ以上の評価を得たはずなのにと、本当に悔しい思いで一杯です。 

 「バッタ君町へ行く」のページと違う点は、当時の有名業界誌誌全国版から地方版まで同作品プレミア公開時の批評や、翌1942年再スタート時の公開評を網羅した点です。 ディズニーに比べてやや厳しい批評が多く見られますが、地方誌の批評の中には、この作品の魅力を認めているものも少なくなく、フライシャー・ファンとしては嬉しい限りです。 少し長文ですが、図版も数多く掲載していますので、お暇なときにでも閲覧くだされば幸甚です。

2017年8月10日(木)
 本当に久々の更新です。フライシャー版短編「スーパーマン」をフィーチャーしたフライシャー兄弟9を渾身の資料の数々で作成しました。 このサイト、特にフライシャー関連の特集は、これまで書籍やアニメ史に記述される事がなかった資料や視点で構成していますが、長編2本を挟むスタジオ晩年の作品群は詳しい記録が残されておらず、時間がかかってしまいました。 せっかく「懐かしの漫画映画館」に期待を寄せてくださった方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 あと、名誉として喜んでよいのか、インターネット共有社会の常識なのか、本家本元のフライーシャー・スタジオ・ドット・コム(−現在はベティちゃん等の版権管理の会社−)のサイト内容がどうも後追いで本「懐かしの漫画映画館」のサイトの情報(特に「バッタ君町へ行く」)と似てきているとの報告が有志の方からありました。 私の方はネットもない1970年代からアニメーター目線でコツコツ研究してきた内容とはいえ、本来アメリカの作品、本家本元の米の版権管理団体なので、嬉しいような寂しいようなちょっと複雑な気持ちです。



 さて、フライシャー版短編「スーパーマン」ですが、フライシャー・スタジオはオリジナル企画作品はヒットに恵まれず、どちらかというとスタジオに原作権(著作権)のない請負作品の方がヒットする傾向があるようです。 したがって後世に評価されるような革新的なオリジナル作品が財政的にスタジオ経営を圧迫する結果を招いてしまいます。 しかし請負作品でも、そこはフライシャー・スタジオ流の「行き方」で演出的にも作画技術的にも最高の手法を駆使して取り組みました。 フライシャー兄弟2人の経営的手腕や兄弟間の確執の問題はありましたが、この辺りに職人的な漫画映画人スピリットを感じさせます。

 このフライシャー版短編「スーパーマン」がアニメ史に燦然と輝く作品に仕上がった理由は3つあります。 1つはマックス・フライシャーが漫画映画制作を始める前に担当していた雑誌"Popular Science"に代表される大衆科学的アプローチです。 難しい学術系の雑誌と違って、大衆が夢見る近未来科学をグラフィカルに見せる方法はフライシャーのお手の物です。 2つ目は、これも大衆が好むクライム・ノベル(犯罪小説)のダークな世界観表現の融合です。 フライシャー版短編「スーパーマン」が登場しなければ、80’年代以降ブームとなったリアルなアクション・ヒーロー映画も少し違った道を歩んだ事でしょう。

 そして3つ目はフライシャー・スタジオ独自の新人アニメーターの育成プログラムです。 経験豊富で有能な中堅アニメーターが多く在籍するスタジオは、どんな美術大学や専門学校でも太刀打ちできないような新人育成のノウハウを持っています。 なにせリアルタイムで納期の迫り来る厳しい制作環境、与えられた仕事を時間内に、しかも品質を伴って終えなければ意味を成さない世界。 まさに真剣勝負のジョブ・トレーニングです。 このフライシャー・スタジオ・マイアミの新人育成プログラムは、「手描きアニメ作画における立体をどうやって表現するか?」というテーマを主眼に、簡単なネジや板切れをあらゆる角度から描く訓練から始まって、少しずつ複雑な手や足の描き方を学んでいくというものです。 新人アニメーターは自分が描く描線があくまで空間に存在する立体の一部分である事を認識しながら学習していきます。

 このプログラムはフライシャー兄弟が去った後の後継スタジオであるフェイマス・スタジオにも引き継がれました。 時間があれば、このプログラムの特集も組んでみたいと思います。 恐らくこのプログラムで修行した新人アニメーター達の多くは正式にクレジットされなかったかもしれませんが、彼らが仕事を通して得た貴重なスキルは、平行して制作に入った長編第2作「バッタ君町へ行く」で更なる開花を遂げる事になるのです。

2016年10月19日(水)
 久々の更新です。 フライシャー兄弟8を作成しました。 求職中のこともあり、長い谷間の日々、サイト更新もままならぬ状態でした。 8では、前回に続きフライシャー・スタジオ長編第1作「ガリバー旅行記」の反応や、ハリウッドより参加した中堅スタッフとの衝突の原因などを特集しました。 当時のファン・マガジン雑誌や業界紙数十冊を辞書と首っ引きで検証、新しい事実の検証や裏づけで時間をとってしまいました。 フライシャー版「ガリバー旅行記」では、あえて原作にあった風刺性を弱め、超越したで存在であるガリバーのスケール感や重量感をアピールしていますが、その辺の演出手法なども合わせてご紹介いたします。

 作品のタイプは全く異なりますが、今回フライシャー版「ガリバー旅行記」との演出技法の比較の為に、仏のポール・グリモー監督による "La Bergere et le Ramoneur" (1952)を再見しました。 意外にも物置に1952年版の資料数点が眠っていたことを思い出し、画像を付け加えることができました。(右図:公開当時のB5判プログラム) 同作品は制作納期上の問題から監督グリモーの手を離れた形で上映されたため、後年(1980)に、グリモー自身の手により「王と鳥」("Le Roi et l'oiseau")と改題し全面リメークされました。 初見とは恐ろしいもので、このグリモー監督が気に入らなかった1952年版の方がしっくりと内なる琴線を揺さぶります。 (ただしテクニカラーの色彩は失われ、かなり退色しています。) 声の出演に若き日のアヌーク・エーメ(「男と女」)やセルジュ・レジアーニ(「火の接吻」)が参加しているだけでも魅力があります。

 まだ作成していないタイトルもありますが、フライシャー兄弟9も作成中です。 やっと短編「スーパーマン」と「バッタ君町へ行く」にたどりつけそうです。 フライシャー版「スーパーマン」が当時として革新的なスタイルだったヒントは、フライシャーの米「ポピュラー・サイエンス」誌編集員時代にあることがわかりました。 鋭意制作中です。 ご感想等ありましたらよろしくお願いいたします。 

2015年11月20日(金)
 昭和の児童書などを「絵の引出」の中に作成しました。 講談社版世界名作全集というかなり古い全集ですが、名作全集の枠を超えた個性的な児童書でした。 全集というと画一的な同じ装丁の本が多いようですが、この講談社版世界名作全集は1冊1冊が単独の単行本といっていいほど、表紙絵に凝っていました。
 フライシャー兄弟の続きは、いよいよ最後の長編「バッタ君町へ行く」そして革新的なフライシャー版「スーパーマン」へと向いますが、パラマウントからの圧力や弟デイブとの確執など、かなりつらい内容になりそうです。 もう少し時間をください。 したがって「昭和の児童書 − 講談社版世界名作全集」は小休止の意味でお届けいたします。

2015年9月15日(火)
 フライシャー兄弟7を作成しました。 7ではフライシャー・スタジオの運命を左右したフロリダ州マイアミ・スタジオの全貌とスタジオ内の制作風景、初の長編「ガリバー旅行記」のスタッフ編成を特集しました。 このスタジオ建物自体はマイアミ警察グレープランド分署として今も現存しています。

2015年8月27日(木)
 「絵の引出し」の中にヘイリー・ミルズ1を作成しました。 子供の時に見たディズニーの実写版劇映画も漫画映画と同様、私の感性や絵心を十分に磨いてくれました。 今回は1960年代前半、そんなディズニー劇映画に新星として登場した女優(子役)ヘイリー・ミルズの特集です。 「ポリアンナ」・「罠にかかったパパとママ」・「難破船」等、当時子供時代〜青春時代を過ごした方には懐かしく感じられるのでは…。

2015年7月16日(木)
 PC不調の為、ハードデイスクのデータや転送設定、メール設定が消えてしまいました。 本日16日0時にやっと復旧しました。 この間メールも受信後消失してしまい、もしメールやご連絡をお送りいただいた方がいらっしゃるなら大変失礼いたしました。 この更新履歴ページにてお詫びと代えさせて頂きます。 懐かしの漫画映画や昔のアニメーション技術、並びに昭和の雑誌に関することならメール大歓迎です。

 1週間前、石川県のTLさんから前回更新のフライシャー兄弟6で紹介したカラー・クラシック・シリーズ第5作「クツのお家の子供たち」"The Kids in the Shoe"に関し、2色法テクニカラーの良い版が存在しているとのこと。 私は勉強不足で退色したものしか知らなかったのですが、リンクの非営利の米インターネット・アーカイブ財団"https://archive.org"のサイト映像も更新されているようでした。 私のページ画像よりもきれいで、2色法テクニカラーながら青色成分も発色されていました。 TLさん本当にありがとうございました。 フライシャー兄弟もまだまだ続きます。 7ではフライシャー・スタジオの運命を左右したフロリダ州マイアミ・スタジオの移転とスタジオでの制作風景、初の長編「ガリバー旅行記」を特集します。


2015年7月7日(火)
 フライシャー兄弟6を作成しました。 今回は「カラー・クラシック」シリーズの続編です。 全部で36作制作されましたが、フライシャー流の哀歓や風刺が効いている作品は1936年以前に集中しています。 これは「ベティ・ブープ」シリーズも同様ですが、ストライキやパラマウント社からの増額融資を契機に徐々に可もなく不可もない作品(当時の他社カラー短編漫画映画)に近くなりました。 やや粘質ではありますが都会的なペーソスと風刺に加え、1936年以前の「カラー・クラシック」シリーズには社会の底辺で暮らす子供たちや無垢の動物に対するフライシャーの暖かい眼差しが感じられます。

 フライシャー・スタジオの無垢の動物に対するアニメ表現は上手く、「ベティ・ブープ」シリーズの1938年制作"Pudgy and the Lost Kitten"(邦題は不明ですが仮題名は「パジーと捨て猫」)も絶品で、子猫の無垢のひたむきさや我がまま、飼い犬パジーの情けと相反する嫉妬など、下手に擬人化しないアニメ解釈で表現されていました。 なおこの作品はフライシャー・スタジオ初の女性アニメーター(原画)であったリリアン・フリードマン"Lillian Friedman Astor"の数少ない担当作品です。 (本ページでは紹介してませんが、ご興味ある方は題名リンクの非営利米インターネット・アーカイブ財団"https://archive.org"のサイトでご観賞ください。)

2015年5月23日(土)
 久々の更新です。 「アニメーター」の中にトム・オレブ1を作成しました。 ディズニー長編漫画映画史上、その制作年数と予算において最大規模を誇った「眠れる森の美女」は、ハリウッド漫画映画黄金期の終焉を告げるに相応しい最後の贅沢な作品となりました。 また、その独特な美術設計(アイベン・ロール)やキャラクター・スタイリング(トム・オレブ)は、日本を含む世界中のアニメーターに大きな影響を与えました。 初見は本邦初公開時の昭和35年8月、たしか1館のみ70mmスーパー・テクニラマ方式だったと思います。(他の劇場は35mmシネマスコープ版) 幼少時ながらストーリーはどうでもよく、ただただ色彩感とスタイルに圧倒され、親の迷惑も考えず2回続けて観た記憶がありました。 アメリカでの公開は前年の1959年で同時上映作品は「グランドキャニオン」でしたが、日本の同時上映作品はなぜか「夜のディズニーランド」でした。 これも2回観るはめになった今は亡き親にもただただ感謝の一言です。 ちなみに最後のマリファセントが竜に変身して炎を吐き出すシーンの効果音は火炎放射器の音を録音して使用したそうです。
 ところで、「昭和の雑誌など」の中の「昭和の映画雑誌」を閲覧くださった方から感想メールをいただきました。 こんな古めかしいサイトでも見てくださる方がいると思うだけで本当に感謝々です。

2015年1月4日(日)
 「絵の引出し」の中に四書五経を作成しました。 文字のみのお堅い本の中にも絵を描くヒントとなるお宝からが隠されている場合があります。 ここでは歴史物の仕事で得た貴重な体験談を図を交えて掲載しました。

2014年12月6日(土)
 ジョシュア・メドー3を作成しました。 1953年、長編「ピーターパン」を最後にしばらくの間、メドーは劇映画作品やドキュメンタリー作品のエフェクト・アニメーション監督に専念することになります。 メドー3ではディズニー劇映画第2作目となる「海底2万哩」(1954)、準ドキュメンタリー作品の「ペリ」、初めてディズニー・プロダクション以外の技術供与作品となったMGM映画「禁断の惑星」(1956)を特集しました。 この作品でメドーは潜在意識下の「イド」という今まで経験したことのないエフェクト・アニメーションに挑みました。




2014年11月29日(土)
 ジョシュア・メドー2を作成しました。 第2次世界大戦中、メドーは長編作品と平行して、多くの国策作品(訓練用フィルム・国威掲揚・感染症予防・他)に関わりますが、その多くがエフェクト・アニメーションが主体となる作品で、彼は部門のスーパーバイザーと担当原画を含め多忙な日々を送ることになります。 このロウコストでスピード制作が求められる国策作品の制作ノウハウは良くも悪くも、その後のTV作品や教育用フィルム制作に応用されます。

 他に、スタイリング・アーティストのメアリー・ブレアのコンセプトのもと、メドーが担当しエフェクト・アニメーション・デザインに大きな変革をもたらした「ラテンアメリカの旅」及び「三人の騎士」、また、「不思議の国のアリス」で取り組んだアリスの涙で作られた海(「涙のプール」)も特集しました。



2014年11月20日(木)
 プレストン・ブレア1を作成しました。 ブレアは、ディズニー・プロダクションの「ファンタジア」やMGMカートゥーン黄金時代(テックス・エイブリー作品)で活躍したアニメーターですが、彼の名前を最も有名にしたのは、絵画ハウツー本で有名なウォルター・フォスター出版社の「アニメーションの描き方」("Animation: Learn How to Draw Animated Cartoons")の著作者としてでした。 (ただの入門書ではありません。 ロウ・プライスでしかも近所の店先でディズニーやMGM黄金期の漫画映画スタイルが学べるので、情報のない時代どれだけ役に立ったことか…。)

 ウォルター・フォスター出版社の絵画ハウツー本は、昭和30年〜40年代、画材店の店先などに置かれ、大判のわりに薄手で価格も安いことから多くの人に愛されました。 このサイトをご覧になる方の中には「ああ、あの派手な洋書か…。」と思い出される方もいると思います。 ブレアのページでは、このアニメーション入門本の歴史と、「ファンタジア」の1セグメント「時の踊り」におけるカバのバレエのアニメートを特集しました。

2014年11月7日(金)
 ジョシュア・メドー1を作成しました。 メドーは、ディズニー・プロダクションのエフェクト・アニメーション部門のアニメーターです。 「白雪姫」の実験を兼ねたシリー・シンフォニー・シリーズの「風車小屋のシンフォニー」をスタートに、「ピノキオ」の巨大鯨モンストロとのアクション・シーンにおける複雑な波の表現で認められ、同部門のトップに昇格します。

 エフェクトは炎や水、波といった自然現象アニメーションを専門に扱いますが、メドーは「不思議の国のアリス」で大粒の涙で出来た海の他、トーストパンの形をした蝶々や木馬の形をしたホースフライ(アブ)等、多種多彩なアニメーション原画を描きました。 また、1956年のMGM映画「禁断の惑星」ではディズニーから正式にその才能を貸し出され、潜在意識が具現化した「イドの怪物」を斬新な表現でアニメートしました。

「眠れる森の美女」で妖精の魔法の杖から出るキラメキの粉エフェクトも彼がパターン化したもので、その後多くの亜流が生まれるほど定番化されました。

2014年10月30日(木)
 少しずつ、サイトを整形しています。(トップ・メニューやマウス・ロールオーバー等) 本当はツイッターやフェイスブックもリンクさせるといいのですが、とりあえずは現在の項目を仕上げてからと思っています。

 このサイト内で紹介した昭和の雑誌の中、「週刊少年サンデー」昭和38〜41年のほぼ連続151冊が、売れました。 いつもお世話になっているK古書さんにお願いしたのですが、郷里の物置で結露などでひどくなる前に、良い状態の形で新しい持ち主様に渡り、新たな命を与えられたと思い感無量ですが、ほんの少しだけ寂しくもあります。 しかし、幼少時に栄養になった挿絵付き絵物語や図解は、私の頭の中の引き出しとしてちゃんと収まっています。 とにかく未来に向かわなくては…。
 アニメーターの項目では、それぞれの先達のアニメーターのことを書いていると、どうしても1,2,3…と増えていきます。 とりあえずは敬意を払う意味でも、各アニメーター・演出家のページを完成させていくつもりです。

2014年10月23日(木)
 ウラディミール・タイトラ1を作成しました。 1940年公開の「ファンタジア」における「禿山の一夜」の魔神チェルボグ、「ピノキオ」の悪漢操り人形使いのストロンボリ等、「重さ」や「3次元性」を感じさえる表現でその名を知られた伝説的なアニメーターでした。 一方で、「白雪姫」における小人たちそれぞれの性格描写や、「ダンボ」における母象ジャンボとダンボのせつない愛情表現は、彼の優しい一面を垣間見せた真に言葉を超えたアニメートの極致といえるでしょう。 1943年、その一昨年前に起きたディズニー・アニメーターのストライキのわだかまりを引きずりつつ、ディズニー・プロダクションを退社しました。

 フライシャーの後継スタジオであるフェイマス・スタジオに移ってからは、「ポパイ」・「キャスパー」・「リトル・オードリー」等、短編漫画映画ディレクターとして活動します。 しかし、ディズニーへの望郷の念は強く、「おしゃれキャット」の制作が始まった1968年に一度復帰を打診しますが、会社上層部から拒絶されてしまいます。 このサイトのアニメーター特集では、彼が最後の脚光と賞賛を浴びる1967年のモントリオール万国博アニメーション回顧上映プログラムまでを追ってみたいと思います。
 ウラディミール・タイトラ1では、彼の生い立ち、忘れえぬ作品との出会い、美術の巨匠たちから学ぶ修業時代、ディズニー・プロダクションの見習い期間の仕事、「白雪姫」での仕事をフィーチャーしました。 このサイトの元になった豊島区コミュニティの漫画映画技術史講座では、タイトラの名前をはじめて耳にする参加者が多かったのですが、たちどころにファンになった人が数名ほどいました。 一ファンである私も自分のことのように嬉しくなった思い出があります。


2014年9月25日(木)
 フライシャー兄弟5を作成しました。 少しずつフライシャー・スタジオの運命を左右した「バッタ君町へ行く」や短編「スーパーマン」シリーズに近づきます。 今回はそれより前にスタートした「カラー・クラシック」シリーズを特集しました。 同シリーズはパラマウント社からの強い要求の元、ディズニーの「シリー・シンフォニー」シリーズに対する対抗策とし企画されましたが、ディズニーが独占使用権を取得した発色の美しい3原色法テクニカラーに対し、2原色法シネカラーで挑んだシリーズ第1作「ベティの白雪姫」の色彩処理など、技術者でもあったフライシャーの挑戦を研究してみました。

2014年9月10日(水)
 フライシャー兄弟4を作成しました。 「ベティ・ブープ・カートゥーンズ」として単独のベティ・シリーズが開始されました。 また、ベティのモデルとなった女優たち、ベティの声を担当した才能あふれる女優たちも合わせて研究しました。 他に後世ベティ・ブープの最高傑作といわれた「ベティの白雪姫」"Snow White"(1933)のシュールな世界観のアニメートをたった一人で企画・演出・作画を担当したアニメーターのローランド・クランダールを特集しています。 次回ですが、ディズニーの「シリー・シンフォニー・シリーズ」みたいのを作れと、パラマウント映画から圧力を受けて制作を開始した「カラー・クラシック・シリーズ」の研究を開始する予定です。 このサイトで紹介してる「ハワイの小鳥」や「グランピーのクリスマス」も同シリーズですが、強制的な依頼にも関わらず、数々の名作や革新的な技術が誕生したシリーズでもあります。

2014年7月16日(水)
 フライシャー兄弟3を作成しました。 ベティのキャラクターを生み出した伝説のアニメーターであり、ディズニー・プロダクションの「白雪姫」のヒロイン主要シーン、そして漫画映画史にその名をとどめる有名なスタジオ各社で数々の名作品を担当した別格中の別格アニメーター、グリム・ナトウィックを特集しました。 他にもベティ作品に縁の深いジャズ黄金期のバンド・リーダー兼シンガーのキャブ・キャロウェイについても紹介しています。

2014年5月9日(金)

 ふたたびフライシャーのページに取り組みます。 それと閲覧してくださったT・Yさんのご指導の「オリジナルの絵を少しでも多く入れること」を目標に、何とか一人でも多くの方に閲覧していただけるような魅力あるページを目指します。

2014年4月16日(水)

「絵の引出し」ページのスクラップブックの項目ページを完成しました。 ペーパーレスや電子書籍全盛の今日、昔ながらのスクラップブック資料は時代遅れかもしれません。 しかし絵を描く仕事にスクラップブックは重宝しました。 事実、どうにか食べていけるのも暇なときや仕事の合間にコツコツ収集したスクラップブック資料のおかげでした。 スクラップブック制作は、出来上がった資料そのものより、切り抜き資料を整理・分類し、手間をかけて貼り込んでいく作業そのものにあります。 そうした作業の過程で、頭の中の「引出し」にも結構情報が蓄積されます。 このページでは合わせて、キャラクター・デザイン創作の手助けになる切り貼りスクラップによる方法も紹介しています。

2014年4月6日(日)
いい加減に古書の整理はやめて、フライシャー兄弟2を完成しました。 フライシャーは数ページでは収まらないので、3・4・5と続くかもしれません。 フライシャー兄弟に関連して、漫画映画ページに「ビン坊の秘密結社"Bimbo's Initiation"(1931)」を追加しました。 ストーリーがシュールで解説しにくいのが理由です。(動画サイトなどで簡単に入手できますが、おせっかいページだと思ってください。) この作品もTV放映時に邦題が変わることが多く、上記は昔見た時のタイトルです。 またこの更新履歴の日付の順番も昇順に変えました。

2014年3月14日(金)
「絵の引出し」の中、「昭和の雑誌など」2を作成を作成しました。 合わせて「昭和の雑誌など」1も内容更新。(最後の方に役立った絵のスケッチを追加) 「昭和の雑誌など」2の方は、昭和30〜40年代前半の映画雑誌編ですが、「引出し」として役立った記事や写真がが中心です。

2014年3月2日(日)
PC復旧完了しました。「絵の引出し」の中、「昭和の雑誌など」1を作成しました。 資料雑誌が膨大で部屋を占領しているので、売却の為に資料画像を先に撮る必要から急遽作成しました。
 昭和30年代〜40年代前半に子供時代を過ごした方には懐かしい雑誌が出てくるかもしれません。 以降は再びフライシャーのページに制作に戻ります。

2014年2月25日(火)
PCの調子が悪く、ハードディスクの換装とネットワークの再設定などで復旧に手間取りました。 もしこの間に感想メール等を送っていただいた方がいらっしゃったのなら、この場を借りてお詫びいたします。
 このサイトのバックアップや資料は別保存だったので、何とか無事に作業を続けられそうです。

2014年2月5日(水)
立春も過ぎたのに雪の降る夜は寒さが厳しいです。 フライシャー兄弟の1が完成しました。 といってもフライシャーに関してはかなり膨大になります。 近々オリジナルの絵も各ページに追加してなるべく魅力ある漫画映画館にしたいと思います。 今のところ単なる資料館になっていますが、子供の時に感じたポスターや立て看板を見ただけでワクワクして駆け足で友人や家族に知らせ回った興奮を何とか表現したいと思います。

 また、夏の満天の夜空の下、野外に設置したスクリーンで開かれた上映会などもイラストで再現してみたいと思います。(この時フライシャーの「ガリバー旅行記」や東映動画の「白蛇伝」・「西遊記」を見ました。)

2014年1月31日(金)
昔といっても昭和30〜40代の医院とか美容院の待合室に必ず置いてあった「近代映画」とか「映画情報」という大判の映画・芸能娯楽雑誌をご存知でしょうか? 資料部屋を整理して大量に出てきました。 漫画映画関係の記事も何点かありましたが、ほとんどグラビア写真とお話紹介で、資料的に目新しい内容はありません。 泣く泣く処分することになるかもしれません。

2014年1月30日(木)
まだまだ、スタイルとかレイアウトの法則がわからない有様で読みづらいと思いますが、少しづつリニューアルしていきます。
アニメーター・演出家の項目でフライシャー兄弟に着手しています。 初期のベティの悪夢のシーンやキャブ・キャロウェイの音楽をフィーチャーした作品のオドロオドロしさはどこから来るのか子供時代から疑問に感じていました。 その辺りも含めて公開いたします。

2014年1月25日(土)
ありがたいことに閲覧して下さった方から感想とレイアウトのご助言を頂きました。 全般に行間と文字間を空け、漫画映画でアップしている作品「魅惑の街角」、「グランピーのサンタクロース」、「ハワイの小鳥」、「夜勤のシンデレラ」の画像を大きくしました。

2013年12月29日(日)
文章はまず初めに記憶で書き起こし、後で資料を参照することを一応の鉄則にしています。 そうでないと、ついつい受け売りになってしまいます。 翻訳も専門ではないが映画やアニメーション用語、関連する人名がわかっているので、ある程度意味やニュアンスがわかりますが、日本語にするのが大変。 訳してみて英文翻訳は意訳でないと日本語にならないことに阿呆な私はやっと気付きました。(専門の方に敬意)

2013年12月27日(金)
古い友人で大型トラックのベテラン整備士であり、教育研究家という変わった肩書きも持つEさんから、お叱りのメール。 「早よHPを完成させや! フライシャーのこと教えたやろ!」と…。(本当は私が教えたのですが…) 彼は古い映画や漫画映画に詳しく、ディズニーよりはフライシャー作品、有名監督作品よりは職人監督の佳作をこよなく愛する人です。 ロバート・クラスカー(映画「第3の男」の撮影監督)が好きで、「メシでもおごったるわ」と待ち合わせる時でも、ハリー・ライムのように店とは反対側の歩道にある建物の影(わざわざ探すのです)から「ニヤっ」と笑みを見せながら登場します。(初めて会う人は皆気味悪がります。) HP早く完成せねばと思います。 「いつか夢で」にならぬように…。

2013年10月1日(火)
物置を整理していいたら、映画フィルムではありませんが子供向け用のスライド・リールが出てきました。 但し「ダンボ」や旧ソビエトの名作「雪の女王」等…。 絵はオリジナル・フィルムを参考にしているものの、おそらく日本人が描きおこした絵だと思います。 その再現力にただただ敬服。 そして当時は高価であっただろう物を何かを節約してまで購入してくれた亡き両親に感謝。

2013年8月19日(月)
東映動画長編漫画映画「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」の公開当時海外版の縦長ポスターを、教育映画畑出身のイラストレーターKさんよりいただきました。 Kさんからは、以前にも同じ東映動画長編の「ガリバーの宇宙旅行」の映画宣伝グッズ等、貴重なものいただき、本当に感激と感謝の極みです。 当時ご自身が鑑賞したときの物だそうです。 どこかのページで紹介したいと思っています。

2013年8月14日(水)
漫画映画のページを追加編集。 主に短編漫画映画の邦題名が子供時代に見たときと、資料内容とでまちまちであることに気づきました。 キネマ旬報の情報が正しいと思いますが、1960年代のTV放映時や、当時のローカルな町での上映会では、適当な名前に変更されていたのかもしれません。 基本的に本邦未公開作品で、TV放映された邦題名は、当時の記憶で表記することに。

2013年8月13日(火)
漫画映画のページを追加編集。 ラガディ・アン(おんぼろ人形のアン)が登場するフェイマス・プロ制作「魅惑の街角」(シーモア・ニーテル監督)にフライシャー・スタジオ時代の作風である下町的暖かさが感じられます。 子供のときに見た記憶(子供映画会)が蘇りました。

2013年8月2日(金)
技術・資料のページを作成しました。 フライシャー版の「スーパーマン」がフィルム・ノワール映画の技術を先取りしていることは以前から知ってはいましたが、文章にしてみて再度認識をあらたにしました。 これにもただただ敬服。

2013年7月21日(土)
アニメーターの神様みたいな、ウラディーミル”ビル”タイトラ(ティトラ)、そしてフライシャー兄弟のその後や晩年の仕事をあらためて調べてみて寂しい思いがしました。 クレジット表記はありませんが、弟のデイブ・フライシャーがあのヒチコックの「鳥」やジュリー・アンドリュース主演の「モダン・ミリー」の特殊効果(それもメインではなく)に参加していたことを知って驚きました。 1970年以降に再評価はされたけどもアニメーター魂(もちろん演出家・制作者も)、生命を与えながらも、生命を削る労力にただただ敬服。

2013年7月16日(月)
アニメーター・演出家のページを作成。 有名ですが、写真や情報がまったくといってない方が多いようです。
プレストン・ブレア(テックス・アベリー作品やアニメーション参考書の著者)や、トム・オレブ(「眠れる森の美女」のスタイリング)のポートレート写真や資料がないので、知人に連絡することに。

2013年7月14日(日)
漫画映画のページを作成しました。 ディズニーに比べてフライシャー関連の書籍や情報が乏しいこと。

2013年7月13日(土)

ホームページを作成開始。 保存してある資料や国内;海外の知人から情報をもとに、可能な限り正確な情報を整理しています。

このページのトップへ

HOME  漫画映画  アニメーター  技術・資料  絵の引出し  更新履歴  ご感想はこちらまで