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1970年代の後半以降にもなるとアニメ・ブームの影響に加え、制作者に対する社会的認知度が徐々に上がったこともあり、アニメーターや演出家に関する資料探しにそれほど困ることはなくなりました。 それ以前(1960年代まで)は専門書と銘打った本でも内容的には映画史的作品の紹介と批評が中心で、まして短編漫画映画の制作スタッフや技術解説の書籍類は皆無だったと思います。

月岡貞夫著の「アニメーション入門」、ハラス&バチェラー著の「アニメーション入門」、我が国初の本格的アニメーションの通信教育のテキストとして配布された民話社の「アニメーション・スクール」の3冊は、当時唯一入手可能な詳細な技術解説書でした。 また同じタイトルの「アニメーション入門」(森卓也さんの名著)はアニメーション史と作品批評が中心ですが、詳細な漫画映画製作者のデータが満載で、アニメーター及び演出家の名前を知ることの出来る貴重な情報源になりました。 このページに記載するアニメーター、演出家も、子供時代に鑑賞した漫画映画作品(一部は実写作品)が中心です。


ウラディーミル・”ビル”・タイトラ(ティトラと読まれる場合もあります)は、ディズニー長編の初期黄金期(「白雪姫」・「ピノキオ」・「ダンボ」など)を支えた伝説的なアニメーターです。 マッスルな重量感と立体感あるアニメートを持ち味にしていますが、内に込められた感情表現の表出にも定評がありました。 自己の内面と向き合い、苦しみ、心の内なる表現を作画用紙に叩き出す姿は、肉体労働者のような姿勢を感じさせます。

「空軍力による勝利」を最後にディズニー社を去り、短編を中心としたフェイマス・プロに移り「リトル・オードリー」や「キャスパー」等の演出家としてして活躍します。
中でも「ファンタジア」の中の一編「禿山の一夜」における魔神チェルナボグの渾身のアニメートの凄さは語り草になっています。 「ダンボ」は幼少時の1950年代後半、本邦2回目の再公開時に観たのですが、タイトラが担当したダンボと檻の中に閉じ込められた母ゾウの対面シーンは今観ても涙を誘います。

1968年に森卓也さんの名著「アニメーション入門」で初めてその名前にふれ、「ピノキオ」、「ファンタジア」の「禿山の一夜」・「魔法使いの弟子」を担当した個性的なアニメーターであることをことを知りました。 晩年の作品に実写との合成作品ながら郷愁的な味わいのある「秘密兵器リンペット」があります。 (サムネイルをクリックすると詳細へ移動します)


シーモア・ニーテル(セイモア・ネイテル)は、ブレイ・スタジオの仕上げを皮切りに、フライシャー・スタジオで頭角を現した苦労人且つ職人的なアニメーター出身の演出家です。

フライシャー版「スーパーマン」シリーズよりストーリー及び演出家に昇格。 フライシャー兄弟がスタジオを去った後、フェイマス・スタジオと改名した同スタジオで短編「スーパーマン」の後期シリーズ、「ポパイ」、「キャスパー」、「ノヴェル・トゥーン」シリーズを含む膨大な短編作品群を演出家、制作ディレクターとして精力的に量産しました。 フライシャー・スタジオで培われた都会的なストーリ・テリング手法を最大限に計算した演出が特徴です。

また、1940年代のラガディ・アン(おんぼろ人形のアン)をフィーチャーした2作品「魅惑の街角」、「人形の願い」に見られる情緒的な演出には、苦学しながらも家族の生計を支えるため働いてきた彼の思いが垣間見えます。(サムネイルをクリックすると詳細へ移動します)


アブ・アイワークスは、初期のディズニーの盟友アニメーターとして活躍、’30年代に一旦袂を分かち自らアイワークス・スタジオを設立。 「コミカラー・シリーズ」、「カエルのフリップ」"Flip the Frog"等魅力ある作品を制作するかたわら独自の4段マルチプレーン・カメラを開発します。

ディズニー・スタジオに復帰してからは、合成プロセス技法や特殊効果用の撮影機材を開発します。 作画出身でありながら、その技術開発にも関心を寄せる姿勢は、「表現を実現するのに良い技術がないのなら、自前で工夫する」という職人的な”ものづくり”の魂を感じます。

実写とアニメーションを合成する際、合成精度を高めるマット処理「カラー・トラベリング・マット」の改良、アニメーターの描画線をそのままセルに転写する「ゼログラフィック・プロセス」のアニメーション応用開発も彼によるものです。 また、アルフレッド・ヒチコック監督の「鳥"The Birds"(1963)」の特殊効果も担当しました。
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* NEW ( Fleischers 10)

1930年代のディズニーに制作本数とその品質において唯一対抗できたのがマックス・フライシャーと弟のデイブ・フライシャーの兄弟でした。

マックス・フライシャーは夜間高校に通いながら専門学校で商業美術や工学系の学業も修めました。 彼の想像力溢れる知識は、漫画映画に様々な革新的な技術をもたらします。

 1915年−複雑な人間の動きをトレーするロトスコープ技開発
 1919年−ロトスコープを導入の初シリーズ「インク壷の外へ」制作
 1924年−歌詞を動画でシンクロさせる「バウンシング・ボール」発明
 1926年−「ケンタッキーの我が家」にて、音楽と動画の完全同期
 1934年−「カラー・クラシック」シリーズにて、初の立体背景撮影

また、ココやビンボ、ベティ・ブープ等の魅力的なアニメーション・キャラクターを創造し、大人の鑑賞にも耐えうる当時としては破格の10万ドルの制作費をかけたリアルな演出の「スーパーマン」の漫画映画化等、良質な作品を数多く世に送り出しながらも、パラマウント社に対する借入金の問題から自ら創設したスタジオから強制辞任させられるという悲運を背負うことになります。

初の国産アニメが登場する1963年以前のテレビでは、フライシャー・スタジオの作品が数多く放映されていました。 子供心に何か都会的なペーソスやシニカルな視点を感じ、ディズニーとは一味違った印象を持ったものでした。
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名前を知ったのは、美術系のノウハウ本の出版を専門とするウォルター・フォスター社の”Animation (Learn How to Draw Animated Cartoons)”の著者名からでした。 (アニメ・スタジオでは「黄色い本」と呼ばれ、当時定番の参考書として重宝しました。)

ブレアはディズニー・スタジオの「ファンタジア」において「魔法使いの弟子」のミッキー・マウス、「時の踊り」のワニとカバのバレエ・シーンを担当しましたが、この参考書には「時の踊り」のほぼ詳細な原動画が掲載されています。(初版では版権の関係からキャラクターを修正しています。)

またテックス・エイヴリー監督のMGM短編作品のヘッド・アニメーターとしても有名です。 エイヴリー6作品に登場するセクシーなショー・ガール「レッド」のキャラクター・デザインとアニメートは彼によるものです。
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SCF映画史上有名な「禁断の惑星」(原題”Forbidden Planet”)に登場する「イドの怪物」の特殊効果アニメーションを担当したアニメーターです。

この作品は60年代初期のリバイバル上映か何かの時、2本立ての2番館で初めて見しました。 当時は「イド」の意味も分からず、ただただそのライオンのようなヒヒのような不気味さと凶暴さに驚愕した思い出があります。 後年になってディズニー・スタジオのジョシュア・メドーというエフェクト・アニメーションを専門とするアニメーターの仕事であることがわかりました。

「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」の水の表現、「春の祭典」の溶岩の表現、「不思議の国のアリス」のデザイン化されながらもリアルな涙の海の表現、また、最終的には使用されなかった「海底2万里」の魚群のアニメートなど職人的なアニメーターです。 晩年はファイン・アート・ギャラリーに多数の魅力的な油彩作品を残しています。 (サムネイルをクリックすると詳細へ移動します)


トム・オレブはディズニー・スタジオのメアリー・ブレアと同様、スタイリング・アーティストとして1950年代初期からディズニー作品で活躍した異色のアニメーターです。

「眠れる森の美女」のオーロラ姫の完成形デザインは大御所アニメーターのマーク・デイビスが担当しましたが、原型のスレンダーなオードリー・ヘップバーンを模したキャラクター・スタイリングは彼によるものです。

アニメーター出身ですが、この時代のトレンドであったUPAスタイルの非常にシャープでデザイン性のある造形を持ち味としています。 その他の代表作に同じディズニーの「プカドン交響曲"Toot, Whistle, Plunk and Boom"(1953)」があります。 また、テックス・エイヴリーのMGM時代後期の異色作「へんな体験記“Symphony in Slang”(1951)」では、ほぼ完成原画レベルといっていいほどの完璧なストーリー・ボード、レイアウトを担当しています。 (サムネイルをクリックすると詳細へ移動します)


アニメーション映画史の最初の方に必ず登場する「恐竜ガーティー」(1914)とその生みの親であるウィンザー・マッケイの名はあまりにも有名です。

マッケイは新聞社の専属画家としてスタートし、新聞連載漫画「夢の国のリトル・ニモ」で一躍有名になりました。 後に自身の作品を当時としては新しい表現形式であったアニメーションで制作し、ボードヴィル・ショー形式で披露するアイデアを生み出しました。  このページのトップに掲げたウラディーミル・ティトラは、幼少時にこの「恐竜ガーティー」(ボードヴィル・ショー興行)を見てアニメーターに憧れたそうです。

これまでアニメーターの常識としてその名を記憶にとどめる程度だったのですが、その後の渾身の作品である「ルシタニア号の沈没」(1918年)を見てその考えが一変しました。 サイレントでありながら、沈み行くルシタニア号の煙突の煙や波の動きまでもが悲しみと苦しみの感情を現わす様が、総25,000枚に及ぶアニメート作画の中に満ち溢れています。 あらためて敬服しました。マッケイはアニメーター魂の先駆者でもあったのだと…。 (サムネイルをクリックすると詳細へ移動します)

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